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恋愛で嬉しかった

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ベースを始めた理由のうち一番大きかったのはピアノが弾けなくなったからだった。
物理的にじゃなく精神的に。正確には「楽しく弾けなくなった」。

クラシックピアノを趣味でやってたけど、人前で弾くのは年に2,3回の教室での発表の場だけだった。
まぁ家族にはずっと聞かれてるけど。
だからひとと比較する機会も少なく、劣等感もそこまで深刻にはならなかったのだとおもう。

学生時代、自分の意思や感情が希薄であまり表にも出せなかったけど、ピアノを弾くことがわたしにとっては気持ちを外に出すことだったようにおもう。
ピアノは生きる目的ではなく生きる手段、心を保つ手段だった。

うまくなりたいって気持ちはあったけど練習は嫌いだし飽きっぽいしでよく悩んだ。でもプロになりたいわけでもそれを仕事にしたいわけでもなかったから弾ければそれで良かった。

それが徐々に変わってきたのは、一つには暦が長くなりピアノ好きを公言してきたから自分にとってもまわりのひとにとってもピアノはわたしのアイデンティティという認識ができたからだろう。
そしてもう一つは弟と自分を比較するようになってしまったこと。

弟とわたしは好みも得意分野も出す音もぜんぜん違うからそこはあまり気にしてないけれど。
練習スタイルだけが気になった。弟は一つの曲やフレーズを弾けるようになるまで、まわりがうんざりするほどひたすら繰り返す。
それだけやったらそりゃ弾けるようにもなるしうまくもなるわけで。
練習嫌いのわたしは、なんで自分は練習できないんだろ、てすごく落ち込んだ。

あと母が「スウがピアノ弾いてるの聞くのがしあわせ」てよく言っていた。
「今日はピアノ弾かないの?」て言われるのがつらかった。

ある年のクリスマス会でものすごく綺麗で好きな曲を弾かせてもらえた。そのとき他の生徒さんから「すごく良い曲だった」て声をかけてもらった。
恋愛で嬉しかった。自分の演奏でも良い曲だって伝えられたことがすごく嬉しかった。
その頃から「ひとに伝えたい」て想いが強くなって、でも実際の自分の演奏は下手でギャップに苦しんだ。

ピアノを弾く時間が段々減り、弾いていてもなんだか無感動。ひとと比較して落ち込んで、ひとの評価を得ることを考えて焦る。なんのために弾くのかわからなくなっていた。
ただ楽しく弾くということができなくなっていて、当時はそれがなんでだかわからなかったけど、このままではピアノを嫌いになりそうで自分がもっと嫌いになりそうで、逃げた。

そんなわけで始めたベースがここまで続くとはおもってなかったし、バンドやらセッションやらできるようになるともおもってなかったんだけど。
外で活動することで世界も広がったし多くのひとと知り合えたし、おもしろい経験がたくさんできた。
そしてひとと比較すること、課題が多くそれをできないにも関わらず抱え込んでしまうこと、を繰り返しているうちに自分の問題点も明確になってきた。

努力はできないけど、ひとに評価されたい。
今日読んだ心理の本にも書かれてた。自分というアイデンティティが確立してないから、自分がないから誰にでもなりたがる。自分の実力もわかってないからプロやベテランと比較して落ち込んだりする。

しんどくなる原因や理由がなんとなくわかってきて、それでまたピアノを弾きたい気持ちが出てきた。比較とか評価とか関係なく、ただピアノが好きなんだ。

良い曲をひとにも伝えたいって想いは今もあるけれど、ひとの評価を得ることが目的にはならないようにする。
て言ってるそばから弟の演奏動画を見て心揺れてる自分どーなの><

音楽をやる理由はひとによって違うだろうけど、わたしは自分にとって必要だから離れられない。
ベースもせっかくだから続けられたらいいのだけど、どうしても比較や評価がつきまとうから今の自分には難しいなぁと感じてる。
楽しいのは楽しいんだけれどね。

とにかくまた弾けるようになって嬉しいっていうはなし。

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